インタビューインタビュー

馬と人インタビュー 第3回 藤倉孝作

  • 更新日:
    2012年11月14日

チャグチャグ馬コ、その装束が鳴らす思い。

藤倉さんと愛馬「音桃」

盛岡市に隣接する日本一人口が多い村、滝沢村。チャグチャグ馬コ同好会会長の藤倉孝作さんのご自宅をたずねた。

藤倉さんのお宅に着いて、まず目に飛び込んできたのが、大きな馬。サラブレッドとは違い、足も太く、ずっしりとしている馬、その名も、音桃(おんとう)。フランスのブルトン種という純粋種で体重が1トン近く(サラブレッドは平均400~500キロ)、種馬として藤倉さんが大事に育てている。藤倉さんは、この音桃と共に毎年6月の第2土曜日に行われる、岩手の伝統行事「チャグチャグ馬コ」に参加している。

●チャグチャグ馬コ、その歴史。

チャグチャグ馬コは、みちのくの初夏を彩る風物詩として全国にも知られる有名な伝統行事だ。様々な装束を身にまとった馬たちを引き連れ、滝沢村から盛岡市内へと練り歩く。元々は生活の中で農作業や運搬などをしてくれる馬達を、農作業が一旦落ち着く時期に休ませ、近隣の人たちと神社に、馬への感謝と無事故をお参りしたのが、そのはじまり。花嫁装束やちょんまげのカツラなどをかぶった華やかな大名行列風俗だったものが、徐々に形を変え、戦後に現在のルート(滝沢村の蒼前神社から盛岡八幡宮)で行われるようになってからは、男性は半纏、女性はかすりを着たの「あねッこ姿」で統一されて行われるようになった。チャグチャグ馬コは、昭和53年に無形民俗文化財に指定を受け、現在は、滝沢・盛岡・矢巾を中心に県外からも含めて約100頭の馬が行列に参加している。

チャグチャグ馬コは、年代によって少しずつ日程が動いている行事でもある。旧暦の5月5日に行ったようだが、旧暦だと閏年で時期がずれていくので、昭和33年に雨の降らない特異日である6月15日に行われるようになった。そして現在では6月の第2週の土曜日に開催されている。

●藤倉さんの半生と、チャグチャグ馬コ。

現在でも、チャグチャグ馬コを伝承する第一線で活躍されている藤倉さん。チャグチャグ馬コに関わってきて、もうすぐ60年。戦後、昭和27年頃にチャグチャグ馬コの同好会や保存会が設立された際に、家に装束を持っていた事がきっかけで参加するようになった。今では装束も自身で作製している。チャグチャグ馬コの大きな魅力の1つが、この装束。たくさんの鈴や、正絹などできた装束を身にまとった馬たちが、鈴の音を街中に響かせながら歩くさまは平成8年には環境省の「残したい”日本の音風景100選”」にも選ばれた。この装束は、もちろん手作り。作り手の個性がでる。丁寧に何年もかけて、やっと1頭分が仕上がる。藤倉さんは、現在まで11着に及ぶ装束を、自らデザインし、毎日少しずつ作り、手を加え続けている。観光パンフレットの表紙になった、自身の作品を見せてくれた。

「白い」装束で参加した

「この装束も約50年位前に作ったが、昔はちょっと赤色が強かったが、今は味がでてとても良い色になっている。鈴も大小含めて700個装束につけているし、時間をみつけては磨いている。」チャグチャグ馬コにかける、並々ならぬ情熱がかいま見えた。藤倉さんが、装束を作るきっかけとなったのは、自分の馬が大きくなり、既存の装束が合わなくなってしまったから。そこで装束を自身で作ってみようと決意した。しかし、当時すでに周りには誰も装束を作っている人がおらず、過去に出来上がっている装束を真似しながら、一からすべて独学でコツコツと製作を続けた。出来上がりまで、4年の月日が費やされた。

こうして出来上がった最初の装束を地域の先輩におずおずと見せに行った。驚くほどに褒めてもらったが、あまりにも出来栄えがよいので、「仕上がりが赤の装束のままだと、他の周りの人が藤倉さんが作ったと信じてもらえないだろう」と言われた。赤色を白色に染め直し、自分で作ったはじめての装束をまとあわせ、チャグチャグ馬コに参加。当時は、とても話題になったと振り返える。今でも、装束作りを保存会で集まり後進たちに教えたり、時間を見つけては作業部屋で過去の装束をメンテナンスしながら、孫や、ひ孫に遺せる装束を作成中だ。2011年のチャグチャグ馬コには、親子孫の3世代で3頭の馬で参加した。最近授かった、ひ孫と、4世代で参加できるようにするのが夢と、目を細める。

丁寧に保管された装束。毎年少しずつ手入れをしている。

藤倉さんが作った証「藤家」の文字が入った装束。

藤倉さんにチャグチャグ馬コも含めて馬との関わりでどんな所が楽しいのかと投げかけてみた。「馬を育てていく中で、調教も含めて関わっていけば何でも言うこと聞いてくれるが、この調教が難しい。馬1頭1頭違う性格を熟知して、調教の方法を見極めながら、手間をかけて育てれば、人間になついて可愛いから、やっぱり馬が好きだ。私たちの時代は農作業や荷物の運搬など馬がいなければ生活もできなかった世代。助けてもらってきた世代だからな。馬がいない生活は考えられない。また、チャグチャグ馬コで自分で作った装束もそうだけど、自分が手塩にかけて育てた馬を皆に見せられる機会があるのは楽しい。」と話す。さらに「当たり前のようだけど、馬は感情のある動物。ただの可愛いぬいぐるみではない。接する上で、マナーはあるよ。」と付け加える。「大きな声を出したり、ふいにカメラのフラッシュをたいたり、うしろから近づけば蹴られたりする可能性だってある。そこはチャグチャグ馬コを見てくださる方にもわかってほしいな」と。チャグチャグ馬コへの思いの根底に、馬への愛情が流れている。形骸化した伝統行事ではなく、このチャグチャグ馬コに血が通っているように感じるのは、育てている人たちの馬への愛が、精神に今も根強く残っているからだ、とハッとさせられる。

藤倉さんは、どのように、チャグチャグ馬コを伝えていきたいのだろう。

何年も経て、この赤になった装束「私個人は皆から(この衣装は)誰が作ったのか?と言われた時に自分が作ったと自信を持って言いたい。だから、装束も1から手作りで妥協せずに行っている。ただし、それがチャグチャグ馬コの正解かといえばそうではない。時間も費用もかかることだから、自分で全て装束を作らなくても、自分が納得した形で参加できて、楽しんでもらえれたらと良いと思っている。だから息子や孫にはこの形を続けていけと言うよりも、若い人が自然とこの行事を大事に思ってくれるような精神的なつながりを大切にしていくべきかな。馬を飼うのはやはり手間もお金かかること。まして装束もとなれば、多大なお金が必要となってくる。自分で納得して、チャグチャグ馬コに出て欲しいから、強制はしないようにしてる。これからはもっと、若い人がやり易い環境もつくるようにしなくていけないし、保存会(自治体)で監修をしながら専用の馬を育てるなどの対策もしていかなくてはならない。」と語る。チャグチャグ馬コを伝えること、それは思いを繋げるリレーである。と僕には聞こえた。

いかにして『馬と人』の文化をつないでいくか。岩手は昔からの馬産地で馬のことを親しみを込めて「馬っこ」と呼ぶ。藤倉さんは現在、チャグチャグ馬コを伝えようと中学校や高校での総合学習に赴き、体験を語っている。未来の子どもたちに、少しでも馬への親しみを伝え続けたいという願いとともに。その1つ1つの積み重ねが未来に馬文化が引き継がれることに繋がることなのだ。(2012/9/12チャグチャグ馬コ同好会会長藤倉孝作さん藤倉さんのご自宅にて)

プロフィール

藤倉孝作

74歳。
チャグチャグ馬コ同好会会長、チャグチャグ馬コ同 好会滝沢支部理事、滝沢村観光協会理事、チャグチャグ馬コ保存会理事。
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