インタビューインタビュー

馬と人インタビュー 第1回 菅原勲調教師

  • 更新日:
    2012年11月05日

岩手の名ジョッキーが、調教師をえらんだ理由

闇と静寂が支配する水沢競馬場敷地内にぽつりぽつりと灯りがともり、人の足音や物音が聞こえてきたのは、午前3時頃だった。そしてその30分後、ライトに照らされたコースを馬たちがゆっくりと走り始めた。深い紺色に包まれたスタンドに聞こえるのは、馬たちのひづめの音と小刻みなリズムの息づかいだけ。不思議なことに、凛とした姿とともに神聖さを感じさせる。

厩舎から馬を出し、最初はゆっくり2週、最後は全速で、1頭ずつ調教していく。勲さんの厩舎には11頭いるが、すべての馬の調教を終えるのは午前7時すぎ。空も白々と明るくなっていった。

馬に乗っているのは、水沢競馬場の騎手や厩務員たち。その中に、今年(平成24年)3月に騎手を引退し調教師として第二の人生を歩き始めた菅原勲さんがいた。
地方競馬である岩手競馬所属の騎手ながら、JRAはもちろん全国の競馬ファンの間でも、その名を知らない人はいない。史上唯一となる地方所属馬でのJRAのGⅠ制覇、地方競馬の現役騎手で4番目の快挙となる通算4000勝達成、ワールドスーパージョッキーシリーズに2度出場、ダービーの勝利数日本一など、31年間の騎手生活で多くの名馬とともに数々の記録を打ち立ててきた。そしてその足跡は、岩手競馬の発展の歴史とも重なっている。
水沢競馬場のある奥州市水沢区の隣町・江刺区出身の勲さんは、叔父が水沢競馬場内の厩舎を営む調教師で父親もそこに所属する厩務員だったことから、小さい頃から馬と親しんでいた。自宅そばの叔父の家にも馬がおり、二人が勤務する水沢競馬場にもよく遊びに行っていたという。そんな環境ゆえ、小学生の頃にはすでに「将来は騎手になり、30歳になったら調教師になろう!」と決めていた。「レースで騎乗している騎手のかっこよさに憧れていたんです」と当時に想いを馳せる。
その希望は中学生になってからも変わることはなかった。卒業後、騎手養成学校に進み2年間訓練を受けたのち、1981年10月17日にデビュー。初騎乗のレースは緊張していて内容を覚えていないと言うが、その2日後には見事に初勝利を果たす。翌年には重賞4勝を含む34勝を挙げ、新人騎手表彰を受賞するなど、この頃からすでに頭角を表していた。
「でも2年目まではまだ、馬の力で勝たせてもらっていました。レースに勝てるかどうかは、『馬の感覚』をつかんでいるかどうかにかかっていると思っています。これはある程度レースの経験を積まないと身につけられませんが、いくら経験を積んでも、努力しても、つかめない人もいる。天性のものなんですよね」。
「馬の感覚」とは具体的には、馬の性格や気持ち、状態など。馬にまたがった時、手綱からそれらが伝わってきたら「つかんだ」証拠だ。そうなると次は、馬と駆け引きしながらレース展開を組み立てられるようになる。
勲さんがこの感覚を「つかんだ」のは、騎手になって3年ほど経ってから。勲さん曰く、最初に「つかんだ!」という手応えを感じたら、今度はその感覚を伸ばすための努力が必要だという。例えば、調教から関わって常に馬とコミュニケーションをとることもその一つ。「この仕事を選ぶ人はみんな馬が好きだと思いますが、ただ好きというだけでなく、仲良くなるためにわかり合える努力をしないといけないと思うんです。調教はその絶好の場。実は調教って馬の訓練だけでなく、人間の訓練でもあるんですよね」との言葉に、重みを感じる。

厩舎は競馬場のすぐ隣にある。周りは普通の民家が立ち並ぶ住宅地だ。厩務員は調教を終えて帰って来た馬の火照った筋肉を冷やし汗を拭いてやる。

そんな中で、勲さんは一頭一頭の馬との出会いも大切にしてきた。
「トウケイフリートはちょっと気むずかしい馬だったかな。トウケイニセイは騎手に自信を持たせてくれる馬。メイセイオペラは自分が騎乗した時にはすでにノッていたし、トーホウエンペラーは実力はあるけど走りがかたかった。ロックハンドスターは常に一所懸命走る馬だったですね」というコメントからも、それぞれの馬を、時には愛情豊かに、時には厳しく、しっかり見つめてきたことがわかる。
「岩手を代表する馬にはほとんど騎乗した」との言葉どおり、これらはすべて岩手競馬を代表する名馬だった。そして勲さんは彼らとのコンビにより、岩手競馬史上最多の4127勝を挙げ(このほかに中央で16勝)、本当に多くの騎手賞を受賞し、「岩手の象徴」と言われるまでになったのだ。
ところがこれらの勝利や受賞歴を、「そこに至るまでの過程の方が重要」とクールにとらえている。
「厩舎のスタッフ、馬主、騎手の意見を一致させて馬を仕上げることが一番大切で、一番苦労する点でもあります。でもこれがあって初めて重賞に勝てる。そして勝った時はみんなで喜ぶし、負けても『次に向けてがんばろう』と前向きな気持ちになれるんです」。
一方で、こうした名馬との出会いは騎手として成長させてくれたとも断言する。その代表がトウケイニセイだ。
「どんなに強い馬に乗っても、レースには相手がいるので不安があります。でもこの馬はどんなレース展開もできるので、そうした不安を一切感じさせなかった。私自身の気持ちが安定して、余裕を持って乗れるんです。こういう馬はなかなかいないですね」。
さらに、「勝てなくなって落ち込んだ時に立ち直らせてくれたのも馬だった」など、出会った馬たちへの想いは強い。それだけにそんな馬たちとの出会いがなくなってきたことは、勲さんに「引退・調教師への道」を決意させた。今度は調教師となって、トウケイニセイやメイセイオペラのような馬をつくりたい。それが騎手を成長させ、ファンを楽しませ、岩手競馬を盛り上げることにつながると信じている。
厩舎のスタッフと協力しながら、毎日馬の状態をチェックし、レースに向けて仕上げる調教師の仕事は、キツく苦労が多い仕事だ。でも6月に初勝利をおさめるなど馬たちも応えてくれているので楽しいし、やりがいがある。また、元名騎手の新米調教師への注目は大きいが、逆にそれが自分へのプレッシャーとなり、励みになるという。そんな言葉の一つひとつから、今度は名調教師として岩手競馬を盛り立ててくれるに違いないと、期待せずにはいられないのである。

古来から、人間の営みに馬は欠かせない存在だった。時代とともにそうした関係が消えていく中で、馬と人とが一体になってドラマをつくり上げていく競馬は、私たちに、馬を信頼する楽しさと難しさを見せてくれる。

出典:もっと!岩手の馬と人の文化を伝えるフリーマガジン「馬と人」(岩手県 農林水産部 競馬改革推進室)
 

プロフィール

菅原勲

1963年、岩手県奥州市江刺区生まれ。
81年に初騎乗。88年にトウケイフリートで古馬重賞5冠を達成。91年に初の岩手競馬リーディングジョッキー(その後も引退までの間に11回獲得)。99年メイセイオペラとのコンビで中央GⅠであるフェブラリーステークスを地方馬として初めて制覇。ほかにも、「岩手の怪物」といわれたトウケイニセイ、岩手競馬所属2頭目のGⅠホースとなったトーホウエンペラー、「岩手の星」と呼ばれたロックハンドスターなどの名馬と組んで多くのタイトルを獲得した。
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