歴史歴史

南部曲り家は、旧盛岡藩領、特に盛岡市周辺や遠野盆地を中心に多く見られる、母屋と馬屋が一体となったL字型の住宅です。 一般的に東側が台所で、南側に馬屋が突出しています。馬屋の屋根には破風があり(入母屋)、かまどや炉でたく煙 [...]

写真提供:盛岡手づくり村

南部曲り家は、旧盛岡藩領、特に盛岡市周辺や遠野盆地を中心に多く見られる、母屋と馬屋が一体となったL字型の住宅です。 一般的に東側が台所で、南側に馬屋が突出しています。馬屋の屋根には破風があり(入母屋)、かまどや炉でたく煙がそこから排出され、馬の背や屋根裏の乾し草を乾かすことができるようになっています。 代表的な南部曲り家は、遠野市街地の西、国道396号線沿いの高台にある、千葉家です。今から200年ほど前に建てられた曲り家で、かつては、作男(雇われて耕作する男)15人を含め25人の家族と馬20頭が同じ屋根の下に生活していたこともあるといわれています。馬屋部分では、民具資料などを見ることもでき、遠野の暮らしをゆっくり感じることができる場所です。(いわての文化情報大辞典「いわての生活文化」より)

参考文献

いわての文化情報大辞典 http://www.bunka.pref.iwate.jp/seikatsu/jyutaku/index.html

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