歴史歴史

馬と人 ー物語のかけらを探してー 

  • 更新日:
    2012年11月15日

はるか昔から 心を分かち合うパートナーとして人々の傍らで暮らしてきた馬たち。岩手のあちこちをめぐると馬と人の絆を感じるエピソードがあふれています。

馬と人がいる風景

チャグチャグ馬コ(滝沢村・盛岡市)/6月第2土曜日

岩手における、馬と人とのつながりは長く深いものがあります。古くは敵陣に挑む戦友であり、日々を共に歩む家族でした。軍馬として、農耕馬として、夢や希望の象徴として、いつの時代を覗いても人の暮らしには馬が寄り添っていたのです。
柳田國男の紹介する『遠野物語』にも馬が数多く登場します。馬と人間の娘が恋をするオシラサマ伝説をはじめ、馬を川に引き込むカッパの話、オオカミに馬を食い殺される話……。思えば馬と人が苦楽を共にした遠野の里。頻繁に話に出てくるのは当然のことかもしれません。
「この地方を旅行して最も心とまるは家の形のいずれもかぎの手なることなり」。厩と軒続きの「南部曲がり家」について、柳田國男はそう記しています。しかし、岩手の農村では当たり前にあった風景。明日を生きる同志として馬をいかに大切にしたかを象徴するものといえます。
初夏の風物詩『チャグチャグ馬コ』も日ごろ重労働を課せられる馬たちの無病息災を願い、馬の神を祀る滝沢村の鬼越蒼前神社にお参りをしたことが始まりといいます。華やかな馬具と鈴でおめかしをした馬たち約100頭を連れて、盛岡八幡宮までを練り歩く様子は見ごたえたっぷりですが、かつて農村に生きた人たちは、馬たちへの感謝と無事お参りできた喜びこそが大きかったことでしょう。
県北地方には伝統芸能として馬の水を飲むしぐさや愛らしさを表した「駒踊り」が伝わっており、今も子どもたちへ受け継がれています。
祭り、芸能、伝承―。馬と人が在る風景に誘われて歩けば、岩手が馬とどう関わってきたのかを知る物語の糸口が見つかるはずです。

大野の駒踊り/南部氏が三戸城より盛岡へ下る際に、大野村(現・洋野町)付近に伝わった郷土芸能。雷鳴神社例大祭では8月17日、19日にお通りがある。

南部の名馬をたどる

岩手県を含む東北地方一帯は、古来より日本有数の馬産地でした。県南にある一関市千厩町もその一つ。前九年の役の際、源義家が軍馬千頭をつないだことが地名の由来と伝えられ、藤原秀衡が源義経に贈った幻の名馬「太夫黒」の出生地といわれています。
鎌倉時代になると、南部氏の統治下で産出された馬はその立派な馬体から「南部馬」と珍重されたとか。江戸時代の馬は平均体高が127〜130センチメートル。しかし、南部馬の平均体高は145.4センチメートルと大柄だったようです。一流ブランド馬を育む南部藩の噂は各地に広まり、御料馬として皇室にも献上されました。明治天皇の愛馬として有名な「金華山号」も岩手県ゆかりの馬です。
また、日中戦争から生還を果たし奇跡の馬と讃えられた「勝山号」は、映画「馬」のモデルにもなっています。現役引退後は静かに農耕馬として暮らしましたが、2年で亡くなります。「勝山号」の頭と首から見つかった砲弾の破片は、彼の壮絶な生き方を物語るようです。

盛号/最後の南部馬と言われる。品種改良によって純粋な南部馬は絶滅してしまった 写真提供:十和田市馬事公苑(駒っこランド)

馬を育てる風土

しかし、どうして岩手でこれほど多くの名馬が誕生したのか。その背景には、藩政時代から徹底管理のもとで優良馬を生産育成したことが大きいようです。例えば、現代の血統書にあたるものを作成して、南部馬の「血」を保持。また、寛文から元禄年間(1661〜1703)にかけて始まったといわれる南部二歳駒のセリ市では、売買は領内に限り、他藩の博労の参加を禁止する(のちに賦金をとって参加を許可した)など、良馬の流出や、他藩の馬の流入を制限したのです。
一方、県南の仙台藩領では生産馬の流通を管理するために専門の奉行をおいた時代もありました。平和な時代になると農耕馬として馬を育て、各地で馬市が開かれるようになります。飼い草が豊富な江刺周辺は馬を育てる環境にぴったりだったようです。
現在遠野市にある「遠野馬の里」では、毎年秋に本州で唯一乗用馬のセリ市が開かれています。一般の人も気軽に見学できるそうです。

くらべ馬の文化

セントライト号写真提供:小岩井農場(株)

黄金(こがね)競馬場 写真提供:岩手県競馬組合

こうした馬産地特有の文化は、競馬の発祥にも大きく関わっています。水沢競馬のルーツを辿ると1190年までさかのぼり、水沢に建てられた塩釜神社で例祭として流鏑馬や競技を行ったのがはじまりだとか。また、古くから馬や農耕を守る神を祀った駒形神社が明治4年に金ヶ崎から水沢に遷宮し、毎年春と秋に「奉納競馬」を開催。 神社内の直線の馬場を使った“くらべ馬”が当初のスタイルでした。この頃は県内各地の神社で奉納競馬が行われたようです。また、農家の人たちが育てた馬を走らせて優秀さを競い合う生産地競馬も盛んでした。岩手における西洋競馬のはじまりは明治17年。横浜、東京に次いで全国で3番目となる西洋競馬が岩手で行われています。
明治34年には水沢公園内に円形馬場が完成。ついで明治36年には盛岡市上田に盛岡競馬場「オーロパーク」の名の由来でもある「黄金競馬場」が開場し、馬産地岩手を大きく盛り上げました。

日本初の三冠馬が小岩井生まれ!

観光地や乳製品の名前で知られる小岩井農場も、戦前はサラブレッドの大生産牧場でした。代表的なのが東京優駿(日本ダービー)3年連続優勝馬の父・シアンモア。種牡馬の偉業を成し遂げ「サラブレッドの小岩井」の名を全国に知らしめたのです。また、日本競馬史上初の中央三冠馬(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)となったセントライトの名は今も競馬界全体に広く知られています。その後、昭和39年に小岩井の血を引くシンザンが戦後初の三冠を達成。岩手から生まれた夢の三冠馬伝説は半世紀を超えた今も色あせることなく伝わっています。
現在、盛岡市と奥州市の2カ所で行われる岩手競馬。岩手の馬と人の関わりを紐解くと競馬の捉え方も少し違ってきます。岩手における競馬はこの風土に連綿と続く文化であり、大切に育てた馬を讃える思いからはじまったのです。

盛岡八幡宮の流鏑馬/毎年9月中旬の例大祭最終日に奉納される。南部第13代守行公が応永25年(1418年)、三戸にいた頃、櫛引八幡宮へ、天下泰平・国家安穏・南部保全・子孫繁栄を祈願して行ったのがはじまりとされる。写真提供:盛岡八幡宮

東北馬力大会(遠野市)/重りを乗せたソリを馬に引かせ馬力を競う。体重が1トンにもなる巨大な馬がじりじりと坂を登る姿は、競馬とまた違った迫力。6月第4日曜日開催 写真提供/遠野市商工観光課

 

参考文献

■もっと!岩手の馬と人の文化を伝えるフリーマガジン「馬と人」(岩手県 農林水産部 競馬改革推進室) ■いわての競馬史(岩手県競馬組合) ■北の馬文化(岩手県文化振興事業団) ■岩手馬事文化観光ガイド「いわて馬っこめぐり」(岩手県農林水産部競馬改革推進室) ■岩手日日新聞「聞こえる蹄の音・岩手と馬の物語」

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