水沢競馬の始まりは文治6年・建久元年(1190)にまでさかのぼります。このころ奥州留守職を務めた伊沢四郎左近将監(留守氏初代家景)が、水沢に建立した塩釜神社の例祭として、流鏑馬(やぶさめ)や馬術競技を行ったのが最初とされ [...]
水沢競馬の始まりは文治6年・建久元年(1190)にまでさかのぼります。このころ奥州留守職を務めた伊沢四郎左近将監(留守氏初代家景)が、水沢に建立した塩釜神社の例祭として、流鏑馬(やぶさめ)や馬術競技を行ったのが最初とされています。また、古くから馬や農耕を守護する神としてあつく信仰を集める駒形神社が明治4年(1901)に国幣小社(国家管理の神社の位の一つ)となり、里宮のあった金ヶ崎町内から、塩釜神社がある奥州市水沢区の現在地に遷宮されてからは、駒形神社の祭典に合わせ「奉納競馬」として、毎年、春と秋に開催されました。 当時は、神社の南側にあった一本馬場(直線約182メートル)を使った“くらべ馬”のようなスタイルだったようです。 (岩手日日新聞「聞こえる蹄の音・岩手と馬の物語」より)