歴史歴史

1190年(文治6・建久元年) 馬産地ブランドの確立

「糠部の駿馬」と呼ばれた名馬の産地であった糠部郡は、一戸(いちのへ)~九戸(くのへ)までの特殊な戸制(へせい)が施行されていました。戸制と馬産とが関係あることは、その馬がどこの産であるかを示す際、「戸立(へだち)」と呼ば [...]

『宇治川先陣争い図』 高松市歴史資料館所蔵

「糠部の駿馬」と呼ばれた名馬の産地であった糠部郡は、一戸(いちのへ)~九戸(くのへ)までの特殊な戸制(へせい)が施行されていました。戸制と馬産とが関係あることは、その馬がどこの産であるかを示す際、「戸立(へだち)」と呼ばれていたことからも推測できます。『吾妻鏡』文治6年(1190)3月条に、源頼朝が後白河院に馬20疋(ひき)を献上したところ、「戸立」に非常に興味を示したことが記されています。また『源平盛衰記(南北朝期成立)』にも、元暦元年(1184)宇治川の合戦での梶原景季(かじわらかげすえ)と佐々木高綱(ささきたかつな)の先陣争いの際、景季は「磨墨(するすみ)』に、高綱は『生唼(いけずき)』に乗馬しますが、それぞれ「三戸立」「七戸立」であったとされてます。さらに、熊谷直実(くまがいなおざね)が一戸の牧まで郎従を使わして、上品絹200疋を投じて求めさせた名馬「権太栗毛(ごんたくりげ)」の話も有名です。(NPO法人奥州おもしろ学 馬っこ問答より)

参考文献

NPO法人奥州おもしろ学 『馬っこ問答』

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