歴史歴史

1661~1703年頃(寛文~元禄年間) 馬産振興と馬市

みちのくの秋の名物行事であった南部二歳駒のせり市。南部藩独特の馬の売買機構で、その始まりは藩の馬政が整った寛文から元禄年間(1661~1703)といわれています。領内26ヶ所で代官所が管理して行っており、売買は牝馬だけで [...]

出典:岩手県競馬組合‖編『いわての競馬史』より

みちのくの秋の名物行事であった南部二歳駒のせり市。南部藩独特の馬の売買機構で、その始まりは藩の馬政が整った寛文から元禄年間(1661~1703)といわれています。領内26ヶ所で代官所が管理して行っており、売買は牝馬だけで領内に限られていました。
明治時代になってからも馬市は続きました。明治9年(1876)の記録には飼育数が官馬1千頭、民馬6万2百頭に増えたとあり、これに比例して馬市が盛んになりましたが、国や県が馬市のたびに飼育者から多額の賦金を吸い上げたことから、県会議長の上田農夫らが生産、飼育、売買を民間の手で統括する、馬産の育成保護を主張。産馬会社を設立し、馬検場も設けて民間運営に移行するという画期的な体制をつくり上げました。盛岡市の馬市は太平洋戦争中も終戦後も休まず続いていました。(いわての競馬史より) 盛岡馬検場跡も旧馬町(現盛岡市清水町)から新馬町(現松尾町)へ移設され、今も建物が残っています。

参考文献

岩手県競馬組合‖編『いわての競馬史』

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