歴史歴史

1885年(明治18年) 富国強兵策と最後の南部馬

古代・中世から糠部郡に生息していた馬の重厚な馬格は有名でした。中世、南部氏が甲斐国より当地方に入部するや、甲斐から導入した馬との交配を通じて、馬匹改良や牧野整備を進め、大型の南部馬を作り出し、諸国に有名になりました。速力 [...]

最後の南部馬と言われている「盛号」 出典:十和田市馬事公苑(駒っこランド)

古代・中世から糠部郡に生息していた馬の重厚な馬格は有名でした。中世、南部氏が甲斐国より当地方に入部するや、甲斐から導入した馬との交配を通じて、馬匹改良や牧野整備を進め、大型の南部馬を作り出し、諸国に有名になりました。速力と荷駄力があり、ことに集団行動に優れた能力を発揮する馬でした。 最後の南部馬と言われているのが1885年(明治18年)不忍池競馬で優勝した「盛号」といわれ、1904年(明治37年)32歳の高齢で死亡しました。青森県三本木村で出生、紫波郡赤沢村で飼育された体高151cmの馬でした。 明治時代になると、政府は外国に負けないために、富国強兵策をとりました。このため、日本の軍馬も外国の馬のように大きくしようと外国品種馬との交配を進め、馬の改良が進められました。その結果、純粋な南部馬は急激に少なくなり、明治の末年から昭和の初めには、完全に絶滅してしまいました。(NPO法人 奥州おもしろ学 馬っこ問答より)
※糠部郡(現在の青森県東部から岩手県北部の地域です)

参考文献

NPO法人 奥州おもしろ学 『馬っこ問答』

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